DSPの文献、大当たり


今日は朝から電磁気学の授業があったので出席。
昼休みに昨日アマゾンでよい本と紹介されていたDSP(Digital Signal Processor)の本とご対面。
分かりやすく書かれていて正直びっくりした。


三谷氏の著書を他にも探してみることもしたし、さらにはどうもドランジスタ技術を発行している
CQ出版の技術書というのは、どうも面白いらしいということを察知する。
他にも去年であるが、日刊工業出版から出ている「わかりやすい〜」という本は読んでいて楽しかった。


技術書読んでいて、こんなに楽しいなぁと思ったことはこれまでなかったので、
CQ出版はこれからチェックしていこうと思うし、
暇があれば(というかぜひやりたいのだが)
DSP周辺のプログラミングを手とり足とり手伝ってくれる三谷氏の本があるようで、
この本を使いながら、プログラミングも勉強していこうかと考えた。
そもそも言語を学ぶにあたって、何かプログラムしたいものがなければ意欲というのも上がっていかないのであるが、
DSPを学びながら、さらに言語も学んでいくという仕方で勉強していけば、工学部でも少しは生きやすくなるのではと
思い至ったわけである。
なにより読んでいて楽しかった。


情報通信の授業で、フーリエ変換が情報処理に使われることは分かっていたのだが、意味が分からなかった。
「正規直交基底ベクトル」というものがあって、三谷氏の本を読めばわかるのだが、
これは信号の基本的なエレメントであるのだが、(これを組み合わせて意図する信号を表す)
これは別にフーリエ変換を情報処理に用いない場合でも存在するのだが、
フーリエ変換を用いて情報処理するときには、フーリエ変換を使うため用の「正規直交基底ベクトル」というのを
設定するということであると思う。


授業では、正直なんでこんなことやるのかなぁ、と全く具体的なイメージが湧かなかったのであるが
(分かろうともしなかった私が悪いのであるが)
三谷氏の本を読んで、三谷氏が書いているように確かに「目から鱗」の状態になった。
あとは時間関数で表示するのと、フーリエ変換でその関数を周波数領域で表現するのと、
どちらがより少ない情報量で表現できるかといえば、フーリエ変換であるということが、式からも確かに確認できるし、
(周波数だけだと時間関数表示より連続で表示しなくてよいので記憶リソースの省略になる)
長年チリのように積もっていた疑問が解け始めたと思った。


DSPというのは、今の通信技術にはふんだんに使われていて汎用性が高い技術であるし、
なにより分かりやすく書かれているので、春休みに取り組もうかなぁ。
物理はどうした?となるのだが、最近は砂川氏といい、三谷氏といい、良い本に恵まれるので
(心が前向きになったおかげだろう)
どんどんやりたいのであるが、時間も限られているしなぁ。
実際初めて技術書で面白いと思ったので、今日は得難い経験をしたということだろう。


三谷氏は電子回路の本も最近出していて、買って勉強してみようかなぁとも思っている。
電子回路苦手だったし。


わかる電子回路入門の入門(I) (マイクロネット IS BOOK)

わかる電子回路入門の入門(I) (マイクロネット IS BOOK)

わかる電子回路入門の入門(?) (マイクロネット IS BOOK)

わかる電子回路入門の入門(?) (マイクロネット IS BOOK)

わかる電子回路入門の入門(?) (マイクロネット IS BOOK)

わかる電子回路入門の入門(?) (マイクロネット IS BOOK)

わかる電子回路入門の入門(?) (マイクロネット IS BOOK)

わかる電子回路入門の入門(?) (マイクロネット IS BOOK)


電子回路の本が、最近になって四冊出ている。
あとはDSPの面白そうな本もある。やってみたい。



これだけやれば私もよい技術者になれるだろうか。とりあえず「得意」というものを作ると違うと思うのだが。
春休みにでもやりたいね。ほんと。
信号処理とプログラミングを両方学べるという利点があると思う。
もしかしたら卒論にも生かせるかもしれない。


それで図書館で、今日は科学新聞が入っていたし、日経サイエンスは面白そうな記事ばかりだったから
明日読むことにしよう。
日経サイエンスは多少読んだ。
液体を用いた電界効果トランジスタが紹介されていて、それを作った東工大原子力学科を卒業した技術者の方の
特集が組まれていた。
人と人とのコミュニケーションを大切にして、専門外の部分は尋ねたり、頼んだりできるようにしておいて、
さらには自己研鑽にも励むわけだから、そういう人が技術者として大成するのだろうと思った。


その後、華やかな世界を雑誌で見たり、面白そうな技術書に大学7年目のいまさらであったことに後悔した。
確かに自分が自ら進んで勉強しようと思わなければ、よい技術書にも物理学書にも数学書にも出会わない。
本当になんで自分がこの大学にいるのか、と問いたくなるほど無目的に学校に通うだけの時期が長かったため
(通うのも長く続かないで学期末には引きこもっている)
あの無駄な時間を悔やむわけであるが、学生実験にしても今日みたいにDSPの予習をしていく段階で
良い技術書と出会うチャンスがあるわけだから、毛嫌いしないで真面目にやればよかったものを、
今から思えばつまらないことにウジウジ悩んで、いらないものとして捨ててきた私は
何ともったいないことをしていたのかと思うが、それでも仕方がない。


そんなことを思いつつ、自分の過去に思いを巡らせるが、まぁあれだね。いろいろあったね・・・。
無駄な時間を・・・、とはいうがあの時はああせざるを得なかったということが心に浮かんできて、
学食でご飯を食べながら多少涙ぐんでしまった。
なんであんなに自分が不幸になるような方向にしか、思考が行きつかなかったのか、
そもそも大学一年生の頃は典型的なコミュニケーション障害な状態にまでなっていたので
(よほどよい高校時代が過ごせなかったのだろう、大学受験でも敗退したし)
それでもそれを直そうと大学二年のとき部活に入って、親友はできていまでも交友があるのだが、
一方で女に子に振られてやけっぱちになって引きこもり状態までなった。
別に彼女のせいではなく、私がそれまでに経験してきた人生があまりにも冷たく色のないものだったから、
そういうバックボーンが私にそうさせたのだろうが、しかし何年も引きこもるとは大損をしたものである。
別にあの女の子に振られたからという理由ではなく、自分が大学に来ている意味というのが全く持って見つけられなかったし、
だからこそ未来にも希望が持てなかった。
技術者として馬のように働かされて一生を終えるのだろう、というくらいにしか考えが及んでいなかったのだが、
(それは間違いなく勉強不足で、やろうという気持ちさえ持っていなかった証拠なのだが)
今のぼちぼち落ち着いた精神状態になるまで、しばらくかかったのである。
その間に、いろいろなものを諦めたし、
(ほとんど餓鬼みたいな願望ばかりだったのでなくしたほうが精神衛生上良かったのだろうが、
それでも一方で子供が持っている大切なものもなくしたかもしれない)
静かな気持ちになるまで時間がかかったわけだが、まぁ人生色々だね。
今からなんとか「幸せになる」ということを意識しながら、周囲の環境を整えたり、自分の考えを行動に移したり、
そういうことを地道にしていこうかなぁと思う。


でも昔のことを思うと、今でも泣きそうになる。本当に。


それで知人から京都の旅行の件でメールが来た。なんだかんだで2万円以上かかるらしい。
京都に行く行くとは聞いていたが、2万円とは・・・。
まぁ一足早い卒業旅行ということで。友人は卒業するが、私は卒業しないので。