授業があった、賢そうな奴と話した

今日は電磁気学の授業に出席してきた。
ファラデーの電磁誘導の法則についてのお話であった。
あとは「渦電流」の話で、渦電流はトランスなんかだと損失であるから、
絶縁加工をした鉄の板を積層することにより渦電流を発生させないようにしているとか、
あとはフェライトなどの材料を使えば磁束は発生しながらも、渦電流は発生しないので、
トランスには都合がよいらしい。


あとは、電磁ブレーキというのがあって、これも渦電流によるものであり、
たとえば新幹線や大型車に搭載されていて、普通のブレーキのように擦り減ったりもしないらしいので、
理想的なブレーキのようである。


授業内では、演習があったが、できなかった。残念。
このイキナリ出される演習問題は10点分あるらしく、あまり機転の利かない私は、
こういう授業がすごく苦手である。


私が所属している学部は工学部のために、工学的応用に重点を置かれているようである。
夏休みに読んでいた砂川先生は理学部の先生で、理論そのものについて教わったわけであるが、
理学部と工学部の電磁気学の違いというのは、物理学科で大切な「対称性」などということは語らないで、
とにかく工学的応用について語るわけである。
雰囲気は結構違うと私は思う。


その後、次の授業に出ようとしたら教室に人が二人しかいない。
休みなの?と聞いたら休みだ、ということで、二人が電磁気学の授業中にやっていた演習問題を
ホワイトボードで解答していたので、分からなかった私は、それについて聞いてみる。
一人賢いのがいて、数式をいじって上手いこと演習問題を解いていた。
言われてみれば簡単な数式変形だったが、問題を解くときにあまり考えない私は、
そういうのがとても苦手である。
この大学にも賢い奴はいるんだなぁ、ほげほげ、って思いながらなんか自信をなくす。


その後、図書館で本を読んだりしていたが、なんか集中できないので、家に帰って将棋を数局指す。
最高レートを1295まで更新して、狙うは1300代と思ってもう一局指すと、かなり優勢なのを
最後に読みが飛んでしまってやられてしまった。
将棋のほうは、もしかしたら2級まで行けるかもしれないとも、思い始める。
1300というと、たとえばレートが800とか900だったときには、歯もたたないと思っていたわけであるが、
同じような実力の人間と切磋琢磨していくうちに、到達可能なレートのようである。
ただ、相当気が抜けない感じではある。


でも将棋と物理は全然違う。
というより、私は実践重視でいくタイプだから、物理では実践が足らないのだと思う。
経験して覚えこんでいくタイプで、ある問題が出されて、なんの足がかりもなしにさらっと答えられる神童タイプの
人間ではどうやらないようである。
だからそれが何?物理の勉強と何の関係があるの?とは思うのだが、劣等感を感じてしまうこともある。


そんなこんなで、もっと勉強しないとなぁ。今日もまた図書館に行って電磁気などを勉強しなければ。
複素解析の勉強を、確率統計と並行してやろうかと考えていたりする。
電磁気もあるが、まぁ一日30分程度それに費やし、なんとかやろうとは思うのだが、増やしすぎるとまた大変になるので、
それなりにしておかないと。
そろそろ実験も始まるしなぁ。


昨日、サークルの話をしたため、とても好きだった女の子のことを思い出した。
悲しい思い出があるので、彼女はいま何をしているのだろうと考えたり、
それから自分の留年しまくっている境遇などを考えると、とてつもなく気分が滅入った。
ほんとに何を希望に生きていけばよいのだろう。


アクゼル氏の本も読んではいたが、最後には意味不明になってきたので書棚に戻した。
なにより物理の勉強そのものを進めないとなぁ。
「量子のからみあう宇宙」は、かなり最近のことまで扱っている。
通俗本ではあるが、リンドリー氏に比べると、アクゼル氏の通俗本のほうが難しい傾向にある。
そもそもカントールなんて分かったものではない。