もう少しで読み終える、でも難しい

電磁気学の考え方 (物理の考え方 2)

電磁気学の考え方 (物理の考え方 2)


一応最終章まで来た。
9章で電磁波が磁場と電場の相互作用で生じるという事実がマクスウェル方程式より導出され、
それまで別々の学問であった光学が電磁気学に吸収合併されたという話があって、
そういうことに知的な驚きを覚えることができないなら、物理学の勉強はやめたほうがよいと書かれていて、
私はそれを読んだ直後は、正直なんでそんなに驚くべきことなのかと、物理の勉強はやめたほうがよいのかと、
なんだかそもそもこの「考え方シリーズ」でもかなり難しいし、ゆるゆると読んでいくしかない自分について考えながら、
物理の素養がないのかと落胆しそうになったが、そうはいってもここまで読んできたからには、
きちっと驚いてやろうではないかと、考えたわけです。


電荷と電流によって、静電場と静磁場が出現するというところから始まった電磁気学が、
光の学問と結びついたということは、おそらく当時の人にはとても驚くべき事態であったのだろうという結論を勝手にした。


それで10章を読んでいるわけであるが、なんか一層難しくなってきた。
さすが最終章。ラスボスな感じである。
これを読んだら別の演習書に移り、こちらの砂川氏の本は、毎日一章だけ繰り返して読む、ということを
始めようかと思っている。二度目なら早く読めるだろうし、物理学の考え方のエッセンスを
何としても吸い取らねばならないと考えているからである。
ちなみに10章では、「この偏微分方程式の解法はこの本ではやらない」と書いてあって、
物理テキストシリーズの電磁気学が紹介されていた。
こちらでそれをやっているという。


電磁気学 (物理テキストシリーズ 4)

電磁気学 (物理テキストシリーズ 4)


あとはスウ氏のベクトル解析で電磁気の演習があったのだが、それを覗いていると、
複素ベクトルというようなものが出てくる。
しかしこれは今読んでいる砂川氏の本には出てこない。
どうしたことかしら。


あとは図書館で、その複素ベクトルについて他の本ではどうなっているのかと考えながらあさっていたら
そういう方法を用いている本もあるようである。
どちらかというとそちらのほうが一般的だと思う。
あとはいろいろ読んでいたら下の本が面白そうだった。
読み物としていつか読みたい。


電磁気学の基礎 I

電磁気学の基礎 I


物理学は昔からきっちりやっておけばよかったと後悔している。
無駄な時間をたくさん過ごした。
これこそ積み上げていけば、それなりに面白い読書体験ができたのにと思う。
もちろん私が所属している学科であれば、物性研究などは基礎に物理学がある。
お馬鹿な私は、勉強などしてなるものかと踏ん張っていた時期もあったし、
昨年から数学などは勉強しているが、まだ全然追い付かない。
多分追い付くなんてことはないのだろうが。


一応この本を読み終わってからの勉強計画としては、次には電気回路理論のために二冊図書館で借りているので、
それを十月末まで集中的に行う。あとはこれら二つの演習で12月も終わるかもしれない。
とりあえずはこの二つの科目は集中して今学期にやり、1月は試験に集中し、
それから数学と物理学についての見聞を広めるような勉強を、と思ってはいるが、
いわゆる「進路」の選択となるわけで、私としては今のうちに勉強がある程度進めば、
大学院にいって修士まで行きたいなぁと思っているが、何しろ年齢というのが引っかかるのである。
無駄にバイトなんかして、無味乾燥に過ごしていた時期が悔やまれますね。
人生は後悔の連続、というのは真理である。


それで、今日は図書館から帰った後に、友人とお好み焼きを食べに行った。
その後、コンビニでビールと煙草(セブンスター)を買って、今に至る。
話していると、昔のサークルの先輩が誰かと付き合っているらしい、という噂話。
友人の話も、研究室のイベントでどうだとか、そういう浮いた話を聞くのだが、
私といえば、毎日図書館に行って、たいして実りのない物理学の勉強をして、
数学や物理学は、どの読み物を読んでも、天才の御技ということを知りながらも、
鈍い頭を携えてそれに向かっていく、ドン・キホーテのような自分を見ると、
私の幸せとは一体何なのだろうと考えてしまう。


もっと若い時(とはいっても数年前だが)、そんなことをくよくよ考えていて、
「工学部で地味に勉強する自分」というものに関して、随分自己嫌悪を感じていたわけであるが、
いまはそんな「若いころの青臭い感情」というのも消えてしまい、現状を受け入れ、コツコツとやるような、
なんだかそういう精神状態になっている。
サークルやっていたときなどは、「皆、リア充だなぁ」と思いつつ、自分の地味な人生について
吐き気まで感じていたのであるが、いまはなぜか「人生史上最悪の2011年2月」というのを経験したあとは、
なんだかすごく落ち着いたのである。
いわゆるショック療法なのかもしれないが、努力が何かに向き始めたのはよいことだが、
ふと本当に自分の人生何なのかと考えたときに、明確な回答は全く出せない。


なんなのだろう、一体、と思うのだが、病まないようにしないと。


一応今日も確率論の勉強をした。ほんの少しだけど。
こちらは詰将棋の本のように、日々のほんの少しの時間(詰将棋はトイレの時間だけだが、こちらは30分程度)
を費やしながら、少しずつ進めて、今年中には完成させる予定。


ああ、俺の人生、どうなるんだろ・・・。