学期が始まった

いよいよ大学生活の存続のかかった後期が始まった。
これで駄目だと退学になる予定である。


実験の説明などを聞くために初登校。
良いところは図書館が22時頃まであいていることだけが救いか。


今日も昼から図書館に行って砂川氏の「電磁気学の考え方」を読む。
7章からは静電場、静磁場を終えて、動的な電場と磁場を扱うために、
それまでのガウスの法則などを変形していくわけですが、この過程がなかなか難しい。
大体は把握したが、しかし、これから面白くなりそうな予感である。
一応7章を読んではみたが、分からないところがあったり。
変位電流と伝導電流というのが出てきたが、一体違いはなんだろうと思って、目次を検索するわけだが、
・・・変位電流しか載っていない。
他の本でしらべようかしら。
しかし、7章はファラデーが理論を拡大して、電場が磁場を作るなら、磁場が電場を作ってもいいじゃない
(物理学における大切な対称性による理論の拡大)
をする、ドラマでいえばクライマックスのような部分があるし、
さらには、変位電流と伝導電流の意味が分かれば、それが電気工学を専攻する私が使う
「交流理論」と電磁気学の繋がり(電磁気学から交流理論が派生している)
を理解できるので、きちっと学びたいわけである。
そこに決定的に私にとって重要なことが書かれているのにもかかわらず、
私の頭がまだついていかない状態なので完璧に理解できないところが悔しいところである。
一応この本は、薄い本なので(内容は私は濃いと思うのだが)
もう一度最初から読んでいこうとは思っているのだが、(電磁気学の骨格というのが書いてある本なので決定的に重要である)
完全に理解することは、私にとって不可欠のように思う。
最近、砂川氏は私の師匠だと思うことにしている。(勝手に)


「無限」に魅入られた天才数学者たち

「無限」に魅入られた天才数学者たち


難しい7章を読みながら、うんうん唸って読んだ一方で、図書館をふらふらして面白そうな本を見つけた。
読んでみたら面白かったので、半分くらいまで読んでしまった。
古代において無限というのは、「神」のような存在、「神」のメタファー、いや「神」それ自体であり、
16世紀から18世紀に活躍した有名な科学者たちも扱わなかった「無限」というものに対して、
カントール」という数学者が18世紀に奮闘するというお話。
ボルツマンと同じ時代のお話である。
そのころは、ワイエルシュトラウスデデキントクロネッカーなど、
解析の分野の基礎的な本を読んでも出てくるような数学者が活躍した時代であるようだ。


私は日本史とか世界史とかは分からないが、科学の歴史本は少しばかり齧っているので、
そちらの方向は苦痛なく読めるのである。
また、訳者である青木氏の翻訳書はたいてい面白い。
こちらも要チェック。


あともう一冊、ふらふら歩いていて量子力学の啓蒙書の面白そうな本を見つけたので、これが終わったら読もう。


それから科学新聞などを読み、「edubase stream」というサイトがあるということを知る。
プログラムの講座があるようなことが書いてあったので覗いてみようと思う。
明日はまた朝から学校に行って、昼の授業も出て、それから図書館に行って、今日と同じような時間に帰るだろう。
電磁気学の授業があるが、静電場、静磁場、それから変動する電場、磁場の始めまで砂川氏の本で齧っているし、
さらにはベクトル解析においてはスウ氏の本で演習したし、授業にはついていくことができる予定である。


とりあえず久しぶりに学校に行って、多少気分が滅入った部分もあったが、ぼちぼち楽しく終わった初日。
図書館でこの大学の教授の研究論文が棚にあったので、見てみるけどどの論文も分からない。
さらには英語論文、高度な数学が使われていて、私のような新参者には敷居が高い。
彼らのような論文が例え日本語であっても私に書けるかといえば、書けないであろう。
一体どれほど勉強したのか分からないけど、私が遠く及ばない世界というのがあることを再確認。
どうやったらこれにcatch upできるのだろう。