鬱気味

大学浪人,司法浪人を繰り返して,どこにも行きつかないで40歳を迎えた人のブログを読んでしまった.
すごく鬱になる.
私も留年を繰り返して,ようやく内定にこぎつけたけど,はっきり言って振り返りたくもない長い道程であった.
今思い返すと,何が原因だったのだろうと考えると,大学のランクが嫌いだったり,周りの人間が大嫌いで孤立していたり,金がないのに部活やってみたり,いろいろである.
現状を見ないで,どこにもない青い鳥を夢遊病者のように追っていた,と表現すれば確かにそうかもと思うけども,それまで歩んできた人生だったり,いろいろ絡み合っている.
袋小路から出られなくなるっていう精神状態がある.
どいつもこいつも嫌いで,そもそも周囲の環境が嫌で,ここで何をしても不遇であり,そこから脱出もできない,という気持ちになる.
事実,脱出はできないし,だからこそ,妥協点を探るってのを普通の人はやるのだけど,あまりにそれまでの人生に大した幸福がなければ,自分がこれだけ不幸なのだから,いつか幸福が訪れて当然,という幻想にとらわれる.
そうなると,もう不幸の扉を開いたも同然で,どうしようもなくなったりする.
たぶん,学校のランクの延長である企業群に就職すると,もうずっとそこから離れられないんだろうなぁ.


この連鎖から抜け出すには,第一次産業とかその辺にいくことではないか,と思ったりもする.
あとは,釣りバカ日誌の浜ちゃん的な生き方とか.
今日日,そんなの無理って言われるかもしれないけど,佐々木課長の生き方なんて,もう見てるだけで疲れちゃう.
佐々木課長みたいな人は,とてつもなく今の研究室に多い.
一体どこを目指しているのかわからない人たち.
仕事が好きとかいったりしてごまかしてる人たち.


佐々木課長を批判しながらも,今私は,締め切りに追われて,学会もどきの論文を書いている.
明日,多分ボスに怒られるけど,はっきり言って発表のための発表とか私はあまり興味ないのである.
もちろんさぁ,この研究室の他の人たちはよくやってるよ,けど私はそのあたり,興味ない.
matlab微分方程式動かしたりするあれは,まだ興味ある.
自分で本も買おうと思うし,この分野が持っているその射程の広さってのがいいじゃんか.
今やっている研究分野にとどまらないよ.


好きなことあるじゃん,その辺の勉強をする私はまだ佐々木課長じゃなくて,浜崎伝助に近いのよ.
発表のための発表,とかやらされてるともう駄目ね.
この部分の子供心に,まだ私は私の中に浜崎伝助を探すことができて,精神的に安定するのよ.


んで,そうそうこの大学浪人,司法浪人の人にもわずかに希望を残すのは,浜ちゃん的に生きることだと思う.
もうね,階級社会で上に上がるのは無理だからさ,そこそこの給料もらって,趣味に費やすのよ.
弁護士資格とか,そういうファルス的なものを追い回すと,きっと上のブログを書いた人みたいになっちゃう.
そういう人多いけどね,特に大学には.
だってさぁ,今の研究室の人なんてほとんどそうじゃん.
佐々木課長が多すぎなの.


でも,特に理系なんかはさぁ,本来,浜崎伝助の釣りへの探求心的なものを原動力として発展してきたと思うの.
司法試験を受験する人は,それこそファルスを希求する,なんかもう欲に人生狂わされそうな危険をはらんだ人々だと思うけどさぁ.
しかしながら,今ではどう論文書くかとか,どうプレゼンするかとか,そういうおかしなところで競争して見たり,研究だって,個人の知的好奇心というよりも,組織的なお仕事という感じになってきてると思うの.
そうなると,確かに「苦痛を引き受けながらそれをするのがうまい人」,つまり佐々木課長的な人がでかい面する最近だと確かに思う.
でも,彼らがやる研究ってどうってさ,聞いてて詰まんないんだよねぇ.
別に自分が面白い研究しているといっているわけじゃないんだけど.


深夜にやりたくないことやっているから,たくさん愚痴書いちゃった.
そうは言いながらも,私も佐々木課長的な仕事をするんだよねぇ.
それもまた仕事だし,これから食べていかないといけないし.
でも,思うところは,仕事するなら浜崎伝助的な仕事をしたい.