卒業ほぼ確定

今日は,卒論発表であった.
朝からぼちぼち準備して,適当に一人発表練習をして臨んだ.
私の卒論の内容は他の専門の人から見て取っ付きやすい研究背景ではあるが,
しかしながら発表で取り上げた内容は,次の学会発表でやる予定のものであり,
一気にわけのわからない内容になるわけで,研究背景にしか質問は来なかった.
それが良いのか悪いのか,といえば意見の交換がないわけで悪いのだが,質問にはすべて答えて終わった.


発表会に来ている教授と専門分野が多少たりともかぶった人間は,きつい質問が来ていたりもした.
ともあれたいていの研究室の同期は無難に答えていた.
自己中君は質問に答えられなかったことにえらくイライラしていた.
所詮その程度しか理解していないのにもかかわらず,自分は賢いと思っているのだから性質が悪い.
そろそろ自己中君は当初私が考えていた通り,表面だけ繕った人間だというのが露呈してきていると思う.


それでその後,卒業パーティに出席。別に出たくなかったのだけど、なにやら強制.
どこかのホテルであり,結婚式会場みたいなところで学科卒業パーティ.


ここまで研究室で習った「,.」表記法で書いてみたが、糞みたいに書きにくい。無意味だ。
学会論文というのはやたら表記法とか体裁にこだわる。そんなことはどうでもよい。
理系の人はフォーマットにうるさすぎる。


それでその卒業パーティであるが、あまり上等なものではなかった。医学部ならもっとよいパーティではないかと思う。
まず食い物がすぐになくなる。デザートになんてありつけなかった。
それで退職を迎える教授の長い長いお話。
思うに工学部の教授はあたかも教養があるようにしゃべったりするけど、他の学部と比べると教養を取り繕うのが下手である。
むしろなんだか教養なにそれ食べれるの?レベルな人が多いのに、サンテグジュペリなんかを語ってみたりするのである。
やめておいたほうがいいのに、と思う。
どちらかというと社畜向きの人が多いと思うのだけど、そこに来て教養なんて話は全然似合わない。


その後、研究室の二次会である。
O先生(私の進級を助けてくれた救う神)の横で、昔知り合ったころの話をしたりする。
その後準ボスがやってきて、8年生の私をいじり倒す。
その時言っていたが、私の院試の結果が結構よかったらしいということを横耳にはさみ、
なぜ無利子の奨学金が出たのか理解した。
しかしながら結果が良かったといっても半分もいっていなかったらしい。
推薦組以外で大学院に行こうとする人間というのはほとんどノータリンなのだと思う。
試験日の朝に総復習して、試験に行くまいかとも思っていた私の成績が良かったなんて、この大学も私が入ったころより、
はるかにレベルが落ちているらしい。私が入ったころもろくでもなかったけれど。


そういえば卒業パーティでは、ボスといろいろ話して一応「先生のご指導のおかげで卒業できました」と、
「大学院に行ってもよろしくお願いします」ということを言っておいた。
ボスはお酒が好きだし、こういうことを積極的に言っておけば結構効果的なのでやっておくと研究室で世渡りしやすくなる。
発表の本番でもボスの組では私が一番まともな受け答えをしたと自負しているし、良いところを見せたと思う。
成績優秀組が準ボス組に固まっているからこういう現象が起こるのではあるが。


あとは二次会でだらだら取り留めのないことを話しながら、学部生の同期皆で飲みに行くことにした。
もちろん自己中君はこういうイベントには一切来ないので、一人抜いてではあるが。
研究室の同期と飲んだのは初めてであり、結束は結構深まったのではないかと思う。
一年前、研究室に来た時のそれぞれの印象について話したり。
私とこんなにしゃべるようになるとは思わなかったと言われた。私もそんなことは思わなかった。
この同期三次会でお開きにして、研究室によって私物をもって家に帰り寝た。


今日は研究室にはいかないでだらだら過ごす。明日も行かないかもな。土日は実家に帰る。


一応単位もすべてそろったので、これにて私の大学生活は終わったことになる。
8年・・・、途方もない長い時間である。たくさんの人に会ったとはいわないけど、高校時代よりは人と交流したと思う。
いろんなことがあった。一年生のころは父親と住んでいて、なかなか動きづらかった。
2年生になったら部活に入り、友人を得た。
ほとんど対人恐怖症気味だった私に世渡りの方法を教えてくれた弓の師匠ともであった。
今私が他の人と話すときに使う「話し方」というのはほとんどベースが師匠のもので、私が使いやすいようにアレンジしている。
本来とてもシャイな性格の私が、ずいずいと人に意見を言ったり、冗談を飛ばしたりできるのは、ほとんど師匠のおかげである。
部活では好きな女もできた。全然うまくはいかなかかったけど、あんなに人を好きになったことはなかった。
その後、学校も部活もいかない、親とも断絶状態の生活を数年送り、いまの研究室に流れ着いた。
随分丸くなったように思う。「この大学がマジで嫌い」レベルだったのだが、いまはあまり思わなくなった。
もうどうでもよくなったのかもしれない。
兄弟よりも悪い大学に行っていると思うのは今もっていらいらするし、この大学で頑張ってもいったい何になるのか、
ということは思うのだけど、今更引き返せないし、この年でいったいどういう方向転換ができるのか、というのもわからない。


かなり目標のサイズダウンとかそういうことをしてきたし、というよりも本来、どこの企業にいくだとか、
あの辺の糞みたいな話も大嫌いで気持ち悪いし、実学系となればそういう糞みたいな話の価値というのは高まるわけだけど、
本当に糞みたいに何の役にも立たない何かを本当はやりたいのだけど、
高校時代はそんな糞みたいな価値観を母親に押し付けられたために、随分こじらせたと思う。
なにより性に合わないことをたくさんしてきたと思う。


それでもあと数年、今の研究室の大学院でやって行こうと思ったのは、自分でも不思議である。
もちろん就職活動ができなかったというのもあるし、そもそも「したくもないことをしたい」と言いながら
就職活動するのが酷く嫌なわけで、その惰性で残ったといえるかもしれない。
ただ数年この研究室でやって得られるものはあるだろうし、ボスとも今のところ良好な関係を結んでいるから、
(昨日は「期待している」という呪文を何度もかけてきた)
とりあえずまったくもってこいつら大嫌いという研究室ではないから、就職する足がかりにはなるのではないかと思う。
研究室によって、まるでロボットみたいな感情のないやつが助教しているとこもあったりするわけで、
その意味ではこの研究室に、私が言われているほどアレルギー反応を示さなかったということがあるだろう。


まぁ、とにもかくにも、卒業できたわけだからめでたしである。
途中、エンジニアになりたくない、といっていたのも、あれもまた私の本心である。
しかしながら、一方でいまから最短で独立して自由に過ごせる可能性というのは、この研究室で頑張っていくと高まると思う。
さほど悪魔のように研究が嫌いなわけでもない。


何にせよ、研究室ではこれまでよくやってきていると思う。
第一回目の報告会では教えてもらったことについて自分の解釈を加えて報告したし、
第二回目は今の対象に大学院生よりも先にフィードバックをかけた。
一月には学会用のシミュレーションを完成させ、卒論発表もうまくこなした。
もちろん失敗はたくさんあるけれど、できることとか経験は確実に増えてきていて、全然悪くないと思う。
大学院ではお金も入ってくるわけだし、もっとダイナミックに動けたらと思う。


日々過ぎていくし、時代は流れていくから、その中で楽しんで生活できたらと思う。
昔のように、自分をがちがちに縛って、あれも嫌い、これも嫌い、という風にはならないし、あの頃よりは楽だし楽しい。
8年たって卒業して、自分の中身を現状に合うようにいろいろ変えてきたけど、時間がかかったのはおそらくそのあたり。
これからもマイペースでやっていくしかないねぇ。


そういえばこのブログも今月で二周年である。
二年も・・・駄文を書きつづけたのか。
いままでブログは結構書いてきたが最長でも1年であった。
結構等身大の自分を書こうとしているし、書くとあの頃こんなことを考えていたのかと思いだすのに便利である。
多分、このブログはさらに結構続くと予想している。
大学院に行けばいろいろネタがあるだろうし。
お金に余裕ができたらデジカメでも買って画像つきでいろいろ書いたりもしようか。


何にしても、いろいろあったけど、私の長い長い大学生活もこれで終わりを迎えた。
ほんとに長い間お勤めご苦労さん。
次からは「大学生活」のタグではなくて、「大学院生活」のタグをつけることになると思う。
もう大学院生活の準備段階だから。